スピードスケート日本代表としてミラノ・コルティナ五輪に臨んだ、長野県下諏訪町出身の野明花菜(のあけはな)選手。ミラノ・コルティナ五輪の女子団体パシュートの日本代表としてチームに帯同するとともに、個人種目の女子マススタートにも出場します。
*マススタートには出場しませんでした
本記事では、野明花菜選手のオリンピックの順位・レース結果を中心に、オリンピック出場経験を持つ両親が見守った初めての五輪の舞台を振り返り、本人の言葉、周囲の人々のコメントに焦点を当て紹介します。
ミラノ・コルティナオリンピックでは、団体パシュート銅メダルという結果を残しました。
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*ミラノ・コルティナ五輪の長野県勢の結果をまとめています。こちらも是非ごらんください!
野明花菜のプロフィールとエピソードはこちら
ミラノ・コルティナオリンピックの女子団体パシュート3位決定戦。
それまで準々決勝・準決勝では出場していなかった野明選手が、最後の大一番でリンクに立ちました。
「この選手、誰?」
そう思った方も多かったのではないでしょうか。
野明花菜選手は、長野県下諏訪町出身の注目若手スピードスケーター。
大舞台でメダル獲得に貢献したことで、一気に存在感を示しました。
野明花菜選手のプロフィールやこれまでの歩み、生い立ちにまつわるエピソードについては、以下の記事で詳しくご紹介しています。
野明花菜の出場種目 五輪メダル獲得実績
野明花菜選手は、マススタート(個人戦)とパシュート(団体戦)、あわせ2つの種目に挑みます。ここでは、ミラノ・コルティナ五輪の舞台でどのような結果を残したのかを紹介します。
*マススタートには出場しませんでした。
女子団体パシュート 銅メダル
日本時間2月15日(日)に行われた準々決勝では、カナダにわずか0.5秒差まで迫り、2位で通過。続く2月17日(火)の準決勝ではオランダに敗れたものの、3位決定戦へと駒を進めました。

3位決定戦の対戦相手はアメリカ。長野県下諏訪町出身の野明花菜さんが、第2滑走者として起用されました。ワールドカップで金メダルを獲得したメンバーで臨む一戦となります。

野明花菜さんは、準々決勝・準決勝と控えている時に、今自分出来る事に集中して、完璧な準備で待つことで完璧なレースをするっていうのが自分のやるべきこと」と語っていました。
レースが始まり、野明花菜さんはスタートでややリズムを崩す場面もありましたが、落ち着いた滑りで確実に先頭へ追いつきます。そして―結果は銅メダル。大会連続メダル獲得の瞬間、その快挙を支えた一人が野明花菜さんでした。ゴール直後は目に涙が。初のオリンピックという重圧の中でも、自分の滑りを貫いた強さが、この銅メダルへとつながりました。有言実行した姿勢が素晴らしい。
すごいプレッシャーだったと思います。今シーズン初めてこのメンバーとチームパシュートに出場して、その中でこのオリンピックの舞台の決勝を走るというのは相当なプレッシャーだったと思います。その中でしっかりと自分の実力を発揮して、銅メダルを獲得した。誇らしい銅メダルです。
解説者・髙木奈々さんコメント
<※記録および順位は日本スケート連盟公式サイトおよび国際オリンピック委員会〈IOC〉公式サイト「Milano Cortina 2026」リザルトを参照>
日本スケート連盟公式サイト
https://www.skatingjapan.or.jp/
国際オリンピック委員会(IOC)公式サイト/Milano Cortina 2026
https://www.olympics.com/ja/milano-cortina-2026
レース後に語った本人の思い
女子団体パシュートで大役を果たし、銅メダルを獲得した野明花菜さん。レース終了後、張り詰めていた緊張が解けたのか、それとも自身のミスへの悔しさからか、涙をこらえきれない様子が印象的でした。地元の長野県下諏訪町での会見では、「滑ると聞き、2日間は生きた心地がしなかった」と明かしています。

「完璧な準備をして、完璧なレースをするというのが自分のやるべきことだったんですけど、それがうまくできなかったので、悔いは残ります。」
それでも、一流アスリートの切り替えは早いものです。悔しさをにじませながらも、すでに視線は次の舞台へと向いていました。
元オリンピック選手である両親が成し遂げられなかった“オリンピックでのメダル獲得”。その思いも背負っての挑戦でした。
「ミスもありましたし、悔いは残るんですけど、先輩たちがつないでくれて立てた自分のスタートラインだったので、また強くなって戻ってこられたらいいなと思っています。」
悔しさと感謝、そして未来への決意。野明花菜さんの言葉には、そのすべてが込められていました。
両親へ「最高の恩返し」銅メダルに込めた思い
ミラノ・コルティナオリンピックは、野明花菜さんにとって初めてのオリンピックとなりました。
女子団体パシュートで銅メダルを獲得。そのメダルは、競技人生を支えてきた両親への思いが重なる特別な一枚でもありました。
地元で開かれた壮行会で、野明花菜さんは「父と母が見た景色を見てみたい」と語っていました。元オリンピック選手である両親が立った舞台。その景色を、自らの目で確かめたいという強い思いがありました。
銅メダル獲得後のインタビューでは、こう語っています。
「両親に最高にいい恩返しができたかなと思います。」
地元・下諏訪町でテレビ越しに声援を送っていた母・三枝さんは、「本当に大変な1年だったんですけど、本当によく頑張ったね、と褒めてあげたいと思います」と話しました。
会場で見守っていた父・弘幸さんも、銅メダルの瞬間、目に涙を浮かべながら娘の快挙をかみしめていました。
両親が経験したオリンピックの舞台で、自らもメダルを手にした野明花菜さん。その言葉には、家族への感謝と誇りが込められていました。
野明花菜 地元凱旋|下諏訪町が祝福
銅メダル獲得直後、地元・長野県下諏訪町では、早くも祝福の横断幕が掲げられました。町全体が快挙を喜び、帰郷を待ちわびる空気に包まれます。大会を終えた野明花菜さんは帰郷後、両親とともに町役場を訪れ、地元で率直な思いを語りました。

野明花菜さんの出身地・下諏訪町には、日本有数のパワースポットとして知られる諏訪大社の下社があります。トップアスリートを育んだこの町を訪れ、その空気を感じてみるのも素敵な体験かもしれません。
▶野明花菜さんの出身地・下諏訪町にある諏訪大社の紹介記事はこちら
両親とともに下諏訪町役場を訪問
帰郷後、野明花菜さんは両親とともに町役場を訪れました。町長室では職員に拍手で迎えられ、花束が手渡されるなど、温かな祝福に包まれました。
父・弘幸さんは「本人は緊張したと言っていましたが、それ以上に自分のほうが緊張しました。自分がやっているほうが楽ですね」と笑顔でコメント。大舞台を見守る立場ならではの率直な思いを明かしました。

下諏訪町での会見で語った大会後の思い
下諏訪町で開かれた会見でレース後に流した涙について問われると、
「悔しくて泣いていたのか、安心して泣いていたのか分からないんですけど…」
その涙の中には、さまざまな感情が入り混じっていたようです。
レース後、スケートの脱着を行う場所での一場面も印象的でした。
髙木美帆選手がそっと野明の背中に手を置きながら、静かに声をかけていました。
「『頑張ったね』って言ってもらいました。『次は花菜たちの番だからね』とも言ってもらえました」
悔しさと安堵が入り混じる中でかけられたその言葉は、先輩から後輩へと静かに託されたエールだったのかもしれません。
さらに、気持ちはすでに4年後のフランス・アルプス冬季オリンピックへと向いていました。

「自分もあの大歓声の中で個人種目を滑ったら、きっと本当に楽しいんだろうなと思いました。次はあの歓声の中で、自分一人で滑りたいという気持ちを強く感じました」
「自分もあの大歓声の中で個人種目を滑ったら、きっと本当に楽しいんだろうなと思いました。あの歓声の中で、次は自分一人で滑りたいという気持ちはすごく強く感じました」
大舞台の五輪を終えた直後にもかかわらず、すでに次を楽しみにしている様子でした。
その前向きさと高揚感に、未来への可能性を感じずにはいられません。
まとめ
ミラノ・コルティナ五輪は、野明花菜さんにとって夢の初舞台となりました。女子団体パシュートでは銅メダルを獲得し、日本の表彰台に貢献。世界の強豪と堂々と渡り合いました。
その姿を、父は現地で、母は地元からテレビ越しに見守っていました。ともにオリンピックを経験した両親だからこそ分かる五輪の重圧。その特別な舞台に、今度は娘が立っている―家族にとっても感慨深い瞬間だったはずです。
レース後、野明さんは「少しは恩返しができたかな」と語りました。
その言葉には、長年支え続けてくれた両親への感謝と、同じ五輪の舞台に立てた誇りがにじんでいました。
父は会場で、母は地元で。
離れた場所から同じ瞬間を見つめた家族の時間は、銅メダルとともに心に刻まれるものとなったのではないでしょうか。
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この記事を書いた人
筆者:長野県中信エリア在住。松本・安曇野周辺を中心に、長野県にゆかりの人物情報、ドラマや映画のロケ地、観光スポットや地元グルメを紹介しています。




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